乾燥・半乾燥地域論(下)

周辺から捉える近代化の意味あるいは近代化と環境論―

 

                                 生江 明

目次

序章 「周辺」から捉える「中心」の思考

1.周辺の持つ意味

2.周辺とその生活・行動様式 <生活の安定化手法>

 第2章 生産向上と環境の破壊

―中国内蒙古自治区の環境破壊のメカニズムを考える―

1.内蒙古自治区概観

2.内蒙古自治区の経済発展と環境

3.生態環境悪化のメカニズム

4.経済開発の手法化とその近代的思考

 (以上前号)

 第3章 生産と生活の限界から生まれる社会規範

―ケニア国バリンゴ県の環境と生活様式の共存と衝突のメカニズムを考える―

1.非所有の所有―半乾燥地域における遊牧生活様式のもつ意味

2.所有の非所有―農業の定着化と遊牧の定着化

3.周辺の中心化と中心の周辺化

終章 近代における周辺の意味  

1.成長の限界

2.近代開発論のパラダイム転換

 (以上本号)

 

 

 

   


 第6章 生産と生活の限界からうまれる社会規範

―ケニア国バリンゴ県の環境と生活様式の共存と衝突のメカニズムを考える―

 

1.非所有の所有―半乾燥地域における遊牧生活様式のもつ意味

<バリンゴ県マリガット郡、ムクタニ郡の概況>

 東アフリカに位置するケニアのバリンゴ県は東アフリカの大地を南北に走る巨大な大地溝帯に位置する。人類発祥の地とされる有名なリフト・バレー地方にある。県の行政中心地であるカバルネット市は標高2000メートルほどの山の上にあるが、今回私が参加している調査団(JICA国際協力事業団の開発調査)のフィールドであるマリガット郡はそこから東へ1000メートル下った平らな谷の底に広がる1244平方キロの地域である。その平地の中心には、バリンゴ湖がある。南には、かつてはバリンゴ湖と繋がっていたという、フラミンゴ生息地として有名な温水湖のボゴリア湖がある。谷の東側には南北に走る傾斜大地が山並みを作っており、そこにもう一つのフィールドであるムクタニ郡が位置している。北にはトゥルカナ県があり、その北はスーダン国境である。

 この地域の年間降雨量は平均500から700ミリであるが、年によって大きな差がある。マリガットの観測記録では、1995年は284ミリと極めて少なく、異常気象エルニーニョに翻弄された1997年には1030ミリを記録している。ペルケラ川、モロ川、サンダイ川の3本の通年河川バリンゴ湖に注いでいるが、他に無数の季節河川がある。ここに約56千人の人口があり、一平方キロあたり約45人の人々が暮らしている。ここ3年程は旱魃による緊急食糧の配給が配給されている地域である。場所によっては、3年間畑作は皆無作という状況が続く村もある。典型的なASAL地域(年間降雨量1000ミリ以下、蒸発量1500ミリ以上)の一つである。

この地域には主にツゲンとイルチャムスという二つのグループが暮らしている。その他にはトゥルカナ地方から避難してきたトゥルカナの人々がキャンプを作っている。そして中心地マリガット・タウンにはソマリア系のイスラム教徒も含む様々な地域出身の人々がいる。 主要現大統領の出身部族であるカレンジン人系のツゲン族はもともとは遊牧系の民族だがその後、丘陵地域(ツゲン・ヒル)で農業を導入したグループだが、徐々にその居住範囲を平地へと広げてきた。一方マサイ人系のイルチャムス族は遊牧を主として生業としてもともとこの地域に展開して生活をしてきた人々である。

 

<コミュナルランド−土地の個人所有を否定する遊牧民の土地所有形態>

 ケニアには所有権登記された土地と、登記されていない土地がある。ケニア政府は土地登記の促進政策を進めている。しかし、多くの未登記地があり、その土地の大半はコミュナルランド(コミュニティーの土地)であり、それは部族の土地として公認されているものでもある。ここマリガット県の両郡の土地は一部で登記化されているものもあるが、多くは部族コミュナルランドに属している。現在、行政域を示すものとして地図上にそれぞれのコミュナルランドが確定しているように見えるが、実態はその境界域においてせめぎあいが続いている。定着農耕型の人々と遊牧型の人々のせめぎあう場所、それがこの乾燥・半乾燥地域(ASAL)にある両郡である。

 

 遊牧民イルチャムスの人々にとって、この乾燥・半乾燥地域(ASAL)という自然環境において、土地の私有あるいは排他的占有は意味を持たない。雨は天空いっぱいに広がった雨雲から地域全体に降るのではなく、雨雲から垂れ下がった雨の舌が大地に触れるところが、天の恵みを受けるところとなる。平均的降雨として大地にあまねく雨が降るのではなく、局所的降雨として雨が降る。雨は万人に等しく降らないのである。つまり、例え今年の降雨によって豊かに草が生えた特定の土地に、「ここは私の土地だ!誰も入ってくるな!」と土地の私有化を宣言したところで、毎年そこが恵みの土地となるとは限らない。

人々は自分たちの草地に、他の部族の人々がやってくることを基本的には拒まない。こちらが日照りのとき、その他の部族のコミュナルランドにやってきた恵みを貰うことができるからだ。土地を非所有とすることで、リスク回避を所有するメカニズムである。旱魃常襲地域にあって、家畜の死は財産の消滅を意味する。この最悪の事態をクリアすることが、人々の生活と命を確保する基盤であるからだ。一方、彼らには毎年のように良い草の茂る大事な土地がある。それはその周辺に住む人々ばかりではなく、部族全体の最後の拠り所とする草地であった。普段、人々は各地に分散して住みながら、その地を共有していたのである。 

しかし、近年彼らのコミュナルランドは次々と脅威にさらされている。北からはカレンジン人系の遊牧民ポコットが進出し、トゥルカナとイルチャムスのコミュナルランドの間に割って入り、バリンゴ湖の北からトゥルカナの南辺の間に彼らのエリアを確立した(その背景にはポコット族出身の大蔵大臣の力が働いているという)。そして、このポコットのエリアの一つタングルベイ郡の南側に位置するムクタニ郡の山地の上に、イルチャムスのコミュナルランドで最も恵まれているリザーブ・エリアがある。ここにポコットは武装グループの進出をここ数年来試み、所有権の主張を繰り返し宣言している。現在は軍の出動をイルチャムス側が要請し、押し返しに成功しているが、ムクタニ郡居住のイルチャムスだけでなく、全イルチャムスを挙げてこれに対峙しようとしている。

さらに、丘陵地の農業を主とするツゲン族は南西側斜面から徐々にその耕作範囲を広げ、平地に降りてきている。また、東側山地はもともとイルチャムスのコミュナルランドであったが、南から半農半牧のツゲン族が入り、それまでマリガット郡の一部であったムクタニ地域が新しい郡として誕生し、ツゲン系の地域アラバルがその地位を確かなものにした。

 こうして、かつて広大な遊牧エリアを有していたイルチャムスの人々は、その遊牧エリアをじわじわと狭められてきた。本論〈上〉で紹介したラオスの伝統的焼畑農民たちがそうであったように、伝統的手法はそれに見合う広さの土地の存在を条件として、手法の確かさを有していた。しかし、その条件の貧困化は、彼ら自身の選択ではなく外的要因として迫っている。さらに悪いことに、ここ3年間の旱魃と重なり、草地は家畜たちにどこもここも食されていく。

 そして、イルチャムスの人々が大地を連れ歩く家畜もその一部は他所の所有者のものであり、小作のような請負飼育の場合も増えてきているという。それは生存のための遊牧に、ビジネスとしての遊牧が混入することを意味し、生存のためのコミュナルランドが、経済活動の発展基盤として使用されることを意味し、生存のための平等な資源配分が持てるグループに脅かされる可能性を強めてきている。

 内蒙古自治区とは規模の点では小規模であるが、写真のようにこのマリガット・ムクタニ両郡の各地にガリ・エロージョンが発生している。あるいは、潅木の根元の草はことごとくに食べられて、写真のように地面は露出し、まるで綺麗に整地されたコートのように、雑草一つ無い平らな地面になっている。

  写真@ ガリ・エロージョン(ツゲン・ヒルの低部)

<ポコット族の近代化−儀式からビジネスへ>

 マリガット郡の中心地マリガット・タウンの北に、トゥルカナの避難キャンプがある。彼らの旧居住地カペドは度々ポコットの襲撃を受け、家畜を奪われ、男を殺され、そしてポコットの戦士に気に入られた若い女たちは連れ去られた。東アフリカのケニア、エチオピアなど大地溝帯を中心とした地域には今も、こうして他部族を襲撃し、男たちを殺し、その財産を奪う古くからの伝統的な行動がある。その習慣を止めてしまった多くの部族がある一方で、この地域のポコットの一部はそれを続けている。しかし、それを旧来の伝統と捉えるよりも、変容を受けた新しいあり方と捉えるべきものと思われる。理由の一つは、彼らの武器の問題である。従来の槍と弓だけでの襲撃から、ソマリア、スーダンやウガンダ国境からかつての紛争で使われていた武器が流入し、例えばAK47カラシニコフ自動小銃で彼らは武装し始めた。そしてもう一つの理由は、かつての略奪した家畜は彼らの財産として育てられたが、現在の効率的効果的な武器で襲撃し手に入れた家畜は、地域周辺の家畜マーケットに出荷されているという点である。育てられるべき財産は、その生存と生育を保証する草地を必要とし、その草地を求めて遊牧する手間隙を不可欠とした。しかし、右から左に家畜マーケットへ移動させればこと足れるという状況は、奪いさえすれば金になる事態の出現を意味する。商業ビジネスとしての襲撃である。

 急激な財産の増加は求めようも無い地域にあって、襲撃は豊饒化への儀式としての意味を持っていたと考えられるが、上にあげた二つの要因は、これらの行動が儀式からビジネスへとその意味を転換していくものと捉えることができるだろう。人々は欲望の止め金を一つ外してしまった。

 家畜は草を食ませ続けることで、その資産としての存在を保ちえたが、トラックなどの輸送手段と道路網の発達は、遊牧地域の中にも家畜セリ市場をもたらした。固定資産としての家畜は、近代化の中で流動資産化し、自動小銃はその可能性に現実性を飛躍的に増す便利な道具となった、と見ることもできるだろう。その行動のパターンは、例え襲撃の男たちが伝統的衣装を着けただけであったとしても、ニューヨークの金融街でインターネット上の取引をするマネーハンターとどこが違うのだろうか。経済のグローバリゼーションが市場の世界化、資源の世界化を意味するだけでなく、最小限のコストで効果的かつ効率的な利益創出のための手法をグローバル化した。それが犯罪であったとしてもである。マネー・ロンダリング(非合法の稼ぎを「善意の第三者」に売り渡すことで、金とモノの合法的流通化を実現する浄化手法)はこのASALの地にも広がっている。

 

 

 

2.所有の非所有―ASALにおける農業の定着化と遊牧の定着化

<半農半牧という営農形態がASALで持つ意味>

県都カバルネットは標高2000メートルの山の上にある。鬱蒼と葉を茂らせた大木が町のあちこちに見られる。下界に雨が降らなくとも、ここには雨が降る。その山道を下れば下るほど、灼熱の大地に近づき、乾燥は激しくなる。すなわち麓に近いほど、人々の暮らしは過酷さを増していく。農業を主とするツゲン族と先に表現したが、そのツゲン族の中にも多くの違いがある。貧しい農民であればあるほど、農業の殆ど不可能な境界域へと、つまり土地所有が未確定な遊牧領域(ASAL)へと進出を試みていくことになる。

麓に近いほど農業よりも牧畜が主となる。それは農業に不可欠な水が十分には手に入らないからである。この灼熱の大地で農業は不安定である。それに対して、野山を草や木の葉を求めて歩き回る山羊は、その不安定な生活をぎりぎりまで支えてくれる重要な財産である。牛もまた大事な家畜ではあるが、強靭な山羊はこの過酷な気候により順応度が高い。すなわち水に恵まれなければ全滅の可能性のある農耕に依拠することが危険であるこの両郡にあって、家畜は人々の生活を支える最後の船底のような存在であると考えてよいだろう。3年間皆無作であったという麓の村を訪ねたとき、茫々たる土ぼこりだけの畑の周囲にはごく僅かの牛や山羊がいたが、それが彼らの持っている最後の財産であった。

土地の私的所有による排他的な所有は、所有が富の所有に一義的に繋がる時に意味を持つが、その所有が富の保証を意味しないなら、所有に意味は無い。土地の私的所有とは、その土地への継続的な資本や労働力の投資を意味する。それは、むしろ、災害の所有を意味する場合もあるだろう。農耕地を求めて移動してきた人々は、その生活の最後の頼りとなる多くの家畜を連れてこの地にやってきたことになる。それはこの地の緑の生態環境への大きなインパクトとなる。ただでさえ過酷な気象の中で生育した緑の資源は、燃料としての、また家畜の餌として消費されていく。

 

ASALにおいて灌漑農業が持つ危険>

しかし、この大地に緑の耕地がある。日本の援助で作られたペルケラ国営灌漑農場である。人々は灌漑用水が天からの恵みの雨の替わりに、人々の耕地を安定した生産地に変えることを知った。その農場の小作人になることは誰にも与えられるものではない。人々は自分たちの灌漑を求めた。川に取水堰を作り、大地に水を引いた。その川に水がある限り、人々の耕地は緑で覆われる。しかし、ここはASALの大地である。すでにバリンゴ湖の水面は下がりつづけている。そこで漁をしている人々にとって、あるいはその湖水を生活用水として使っている人々にとって、湖が無くなることは、生活の基盤を失うことになる。カスピ海に注ぐ水を広大な綿花畑に散水することで、やせた集水力しか持たなくなったカスピ海が消滅しかかっているように、バリンゴ湖は小さくなっていく危険に曝されている。もはやこれ以上の灌漑地の拡大はこの地域の人々の生存をその根底において覆す危険性を意味しているといっても良いだろう。

 

 

<遊牧民の定着化と掟の意味変化>

その遊牧エリアを縮小されつづけ、旱魃でさらにその家畜を大量に失っている(今年の旱魃で7割を越える家畜を失った村もある)イルチャムスの人々にとって、農業は新たな魅力である。主に遊牧を担当する男たちに対し、農業は女たちの仕事である。旱魃の危機の中で、コミュナルランドに村の世帯数で均分した耕地を開き始めた村がある。その畑は、場所によって収穫が違う。そのため、イルチャムスの人々はその場所をくじで毎年配置換えをする。人々にとってチャンスとは等しくあらねばならないのである。

草地の貧困化に対処するために、ばら線で囲ったリザーブ・エリアを作った村がある。村人は世帯から平等に人と金を出した。しかし、そのリザーブされた草地を解放したときに、所有頭数の多い世帯が一方的にその恩恵に与ることを人々は始めて知った。不公平の発生である。遊牧にあって、100頭の牛に草を食べさせる労力は、つまり草を探して歩く労力は、50頭を世話するよりは大変である。50頭が食べる量の倍の草を牛に提供するためには、倍の面積を歩く必要が生まれる。しかし、囲われリザーブされた草地では、その草地は全頭数平等に食べることとなる。牛にとっては平等であるが、所有者の頭数に関係なく、手間は同じことになってしまった。多く所有すれば、それなりに労せずして少ない人と同様に草を供給できることになる。人々にとっては新しい経験である。牛を多く持つ世帯が、そのリザーブ・エリアの代表登記者となった。お金があるので、登記料の供出金が多かったためである。恩恵を多く受ける人たちが、代表者となっていく。

遊牧民の定着化は、これまでの社会生活の様式あるいは掟のあり方を変えていく。資源状況が変わっていくからである。欲望が大きいことは、払う努力も大きいことを意味していたのが、うまくやる人とうまくやれない人との二極に分化していくことになる。チャンス(機会)の平等がもたらしていた所有の格差には払う労力が比例し、結果の平等がもたらす所有の格差にはもともとの所有資産の量が比例する。今、イルチャムスの人々は異なる社会原理のはざまに生き始めている。

もともとあった一夫多妻の慣習もその意味を変えていく。婚姻関係による確保される草地の拡大は、男たちをより強化し、女たちにより大きな脅威を与えていく。やがて土地の所有権がこの地に定着するなら、そこにはこれまでの伝統法的な相続は、近代的所有権法の衣装をまといながら家父長制的な性格を持っていくことになるだろう。

  写真 灌漑水路の脇に立つ迷彩服の男性はチーフ(村長),部族対立の警戒のために武装している

土地登記を進めているのは農業を主体としたツゲンの人々であるが、彼らの伝統的相続法も大きな変動の波をかぶり始めている。もともとの伝統的なやり方は、婚姻時に夫婦の所有財産の4割が妻の側に属し、これを末の息子が相続する。6割の財産所有権を有する夫の側はそれを長男以下(末っ子を除く)に相続する。もし夫が第23の夫人を娶るならその6割の財産から捻出しなければならない。これがツゲンの伝統的な財産配分・相続のやりかたであった。第一夫人の地位は高く、財産の配分は夫や長男たちの努力を前提に組み立てられている。これに違う処理を行なう場合、妻のクラン(同族会議)が夫と交渉することになる。しかし、近代的均分相続法が導入されると、第一夫人の地位は著しく下がり、財産は細分化の方向へと向かう。

この土地登記に伴う相続法の導入は、イルチャムスの人々にあって、世代間の争いを一部で起こしている。土地を生前相続することである程度の自由を手に入れたい若年層と、土地の私的所有化は伝統に反するということで反対するリーダー層との間で思惑の違いが存在するからである。しかし、土地登記をしなければ、これまでイルチャムスのコミュナルランドが次々とツゲンの人々の農地へと転化していった状況はさらに進むことも懸念され、リーダー層の苦悩は深い。遊牧という伝統的生業の危機がそこまでやってきている。

 

 

 

3.周辺の中心化と中心の周辺化

 冷涼な山頂の町カバルネットの東に、これまで述べてきたマリガット・ムクタニ両郡の谷と山地があるわけだが、逆に西にはキリオ・バレー(谷)があり、その谷の向こうにそそり立つ広大な大地の上にはエルドラッドの町がある豊穣な平地が広がっている。あるいは南に50キロ下れば、どこまでも続く広大な大農場が広がっている。

 この50年間でこの地域の人口は10倍に増えた。それはこの土地が豊かであったためではない。周辺の豊かな土地は個人の所有地として登記されてしまった。それが富の保有を意味するからである。そして、そこを追われた人々が、まだ誰も登記していない土地を目掛けて集まってきた。それがこの地域で起きている急激な人口増という現象の基本構造である。

 豊かな土地ではないが、土地の私有化を主張せず、非所有を原則とする遊牧生活を基本とするならば、そして、雨の恵みを受け、草を育てている大地を探して移動しつづけるならば、そこで手に入れることのできる豊かで確かな生活があった。しかし、その非所有の所有という生活様式は危機に曝されている。政府はこの土地においても土地所有権の確定作業(所有権登記)を推し進めようとしている。そのことにより登記料、地税などの財源が発生することは、政府にとって確かにメリットである。しかし、それはこのASALの地で人々のリスクを回避する手立てなしには進まない。登記の推進は、人々を土地に縛り付けることを意味し、定住することが富の蓄積を意味する確かな手立てが必要である。しかし、一般的にはそれを可能とする灌漑農業の振興は、この地の基本許容水量の限界から、あるいは気まぐれな降水量の変動性から、厳しい限界を有している。川の水は無限の供給を行なう水道管ではない。また深井戸の地下水も同じように供給源の限界がある(この地区では浅井戸は飲用には適さない毒性の水である)。

 この辺境の地は、よその恵まれた地域の農業近代化手法は適さない。環境資源の許容量が低いか不安定に過ぎるからである。工業化をモデルとする近代化手法は、資源条件の定常化あるいは定常化できる条件があるかどうかがキーであり、このASALという辺境=「周辺」にあって、近代化という「中心」の手法は、その限界を前に足を止めている。

 

この地域の問題を捉えるフレームワークは、衝突を繰り返す部族当事者間の問題として見るよりは、ケニアという国が建国以来見捨ててきた人々が、一方ではASALの辺境地のさらに奥へ、他方では大都会のスラムへと流れる以外に道が無かったことを基本的な問題として捉えることにリアリティがあると思われる。人々の貧困は前近代的貧困であるというよりは、むしろ近代的貧困そのものである。それはこの国の近代化・開発の歴史の戦場そのものの姿を顕わにしている。

 ケニアで見かける広大なプランテーションあるいは農場は、国家か、歴代の大統領に連なる政治家やその家族か、外国企業のものである場合が殆どである。そこから生み出される利益は、その周辺の辺境地で生きる人々の希望を支えるものとなっているのであろうか。広大な国営灌漑農場の利益は、その土地に生きる人々の社会資本の蓄積となっているのであろうか。すり鉢状の灼熱の大地を走り抜け、ナイロビへの道を取るとき、この社会の構造の中心はあの辺境の地にあり、中心地ナイロビはむしろ人々のあえぎや歓びから離れた辺境の地であるという思いを禁じえなくなった。

 

  写真 広大な大統領の農園

終章 近代における周辺の意味

1.成長の限界

 こうして内蒙古、バリンゴという二つの乾燥・半乾燥地を巡ってきて、そこに見えてきたのは、世界は有限であることを忘れたのんきな右肩上がりの経済成長神話とは、実は近代そのものであったのだろうかという思いである。そして、成長を計る指標あるいは基準が、GNP中心からHDI(人間開発指標)あるいはGDI(ジェンダー開発指標)という人間開発指標という軸へとUNDP(国連開発計画)が1994年からアマルティア・センと共に転換されていく必然性を強く考えずにはおれない。

成長の限界とは、量の限界、質の限界、変化速度の限界、規模の限界など様々な側面を併せ持つ。そしてそこで問われねばならないのは、成長とは何であるのか、誰にとってのものであるのか、ということそのものである。成長を上昇として捉えるのか、深まりとして捉えるのか。あるいは余暇時間の多少で考えるのか。先進とは破滅へのトップランナーを意味するだけなのかすらも不分明である。

これまで牛の生血を主食としてきたイルチャムスの人々は、相次ぐ旱魃のために政府からの救援物資として配給されるトウモロコシや小麦を常食するようになった。現在、イルチャムスの人々の中で深刻化しているのは、糖尿病であるという。有史以来、彼らが消化した経験の無い食物を常時摂りはじめた結果である。

人間は強力な効果的殺虫剤としてダイオキシンを発見し、生産に成功した。効率的なゴミ処理方式として一括燃焼方式を多く取った日本(世界の大型焼却炉8000炉の内、6000は日本にある)では、今年の環境ホルモン汚染地区第一位は半田市であった(ダイオキシンは4位)。人間は何かを得ようとして、期せずして他のものを得てしまう。最小経費(つまり無駄が無いこと)で最大利益を上げることが至上価値であるとするなら、これらのことは必要経費なのであろうか。欧米先進国に最速で追いつくことを目指してきた日本が、もっともその近代化手法の落とし穴を純粋に体現している可能性がある。それは日本が辺境の地であるからだ。近代化の手法を自明の理想としたが故に、辺境であることを意味するだろう。

 

 

2.近代開発論のパラダイム転換

<止め金の存在>

 私が現地を離れたすぐ後の1999年の9月に、トゥルカナの避難キャンプがイルチャムスの人々に襲われ、300戸余りが焼き討ちとなった。その前日イルチャムスの男がトゥルカナのキャンプで殺されたことへの復讐だったという。このイルチャムスの攻撃の先頭にはパラマウント・チーフ(チーフの中のチーフ)が立っていたという。しかし、チーフたちに政府から与えられている銃は使われていなかった。彼らの伝統的な武器である槍と弓矢がその攻撃グループの携行武器であった。やがてイルチャムスの襲撃グループはトゥルカナの男性一人を殺し、攻撃はそこで止まった。

その翌日、私が敬愛しているチーフ(村長)のいるイルチャムスの村エルドゥメから、焼き払われた家の再建用の木材などが運び込まれたという。今年3月にそのチーフと会おうとしたが、ついに会えなかった。仔細は分からない。しかし、その攻撃の武器の選択と一人の死者を出して攻撃の止まる瞬間に、イルチャムスの人々には或る欲望の止め金が存在していることが予感される。

 もし、彼らが伝統的な武器で攻撃したのでなく、自動小銃や機関銃で攻撃していたとしたらどうだろう、死者は一人で止まったであろうか。カンボジアの畑のトラクターのように、疲れを知らず動きつづける機械は、人々や社会を変えてゆく。そのことは開発や発展のための代償なのか。それとも、自然史的発展過程と異なる、急速な外発的発展の危険性であるのか。まるで自動販売機のボタンを押すように、的確に自分の欲しいものを直線的に手に入れることが近代的開発であるのだろうか。

 

<止め金の無い開発>

開発の手法はある意味で簡単であった。要素の投入により自分にとって都合の良い環境に環境そのものを改変することであった。近代は未開発地域にその近代的開発手法を持ち込んだ。その時その手法を可能にする自然・社会環境の許容範囲におさまる条件を持つ地域にあっては、成功する可能性が高い。

例えば、農業生産を向上すれば生活が向上する、という原則を前提に開発が進められた。生産は右肩上がりに増大を続ける。しかし、中国のように、その増大を耕地面積に拡大で実現していくと、地域の森林は姿を消し、さらに耕地との間にあった林も姿を消し、さらには斜面地さえも耕地に変わっていく。その人間の努力は驚嘆に値するが、その果てに大量の土砂が流失し、耕地そのものがずたずたに切り裂かれた峡谷へと変貌していった。使える土地はすべて耕地にという土地効率の極限化は、地域の生態環境を全面崩壊させる方向へと導いた。欲望の極大化がその歯止めを持たぬまま進行するとき、人々の生存する環境そのものの破壊に至る。歯止めとは何か。なぜこれまで近代化が環境の問題を無視しながら進んできたのか、あるいは、環境の許容量を歯止めとして持たない開発は何故止まらなかったのか。それは閉じたままの諫早湾や長良川河口堰や、もはや消えかかろうとするカスピ海の問題でもある。

 

             開発概念図

                

<開発における利益限界と負荷限界の関係>

以下の図は、開発における利益あるいは便益の発生とそのために発生する負荷を捉えようとする概念図である。開発利益の発生を目指して開発が行なわれるが、それには資金、労力、素材などの社会資源や自然資源が用いられる。それらは負荷として捉えられる。さらに、それらは時間軸上で発生する。図の左半分はトータルな開発による利益の発生と負荷の発生を示している。

 この図で注目したいのは、利益に限界線が想定されていることである。この利益限界線は、負荷限界と連動するものと仮定されている。負荷限界を超えるような利益追求はその量と質に於いて危険と見なされる限界を有していると捉えている。いわば、利益追求の歯止めとしての負荷限界である。利益Aがもし利益限界を超えているなら、利益の総量を減少させる利益Bに修正するか、利益としては利益Aと同じでもその利益の実現速度を遅めにした利益Cのような修正的選択が迫られることになる。あるいは、止めるかである。

 

 右半分の図は、左半分の開発利益や負荷の発生場所ごとに、利益と負荷を捉えようとしたものである。ここでは、生産の場所を取り出している。いわば補助指標である。地域の自然と地域社会(コミュニティ)、そしてそこで暮らす人々である。地域を構成する社会組織と人間と自然という3要素である。開発に参加するすべての当事者を取り出すことが本来は必要となる。

そして、この当事者の多様性は、この時間軸を長く取るならばそこにインパクトを受ける範囲が徐々に広がっていくと考えられる。例えば、有償融資を受けることで巨大な公共事業が実行され、それによって生まれる利益が計算されるとしても、その融資返済が次やさらに次の世代に背負わされるものであるならば、今ここには生まれていない世代をもその当事者として考慮せざるを得ないだろう。現在の世代には利益としてしか見えないものが、将来の世代には負荷の源泉として見えてくる。すなわち、開発利益も負荷も、一般的なそれとして語るのではなく、誰の利益、負荷なのかを問うことを重要なファクターとして考えるフレームワークがここにはある。

もし開発がその負荷限界のどこかを破って強行されるなら、そこには何らかの問題が起きる。例えば、自然の限界を超えて負荷を与えれば、自然は不可逆な方向へつまり崩壊方向へと動くだろう。あるいは人々を守る自然資源が、人々を襲う資源へと変わる可能性が出る。あるいは人々の指標をジェンダーで区分すると、一方的な過重負担を背負わざるを得ないジェンダーが出現するかもしれない。そしてそれが家庭の崩壊へと向かうかもしれない。また階層で区分すると、開発利益の豊かな享受者と乏しい享受者とが現れ、地域社会の統合性に亀裂が現れる場合も予測されることがあるだろう。

 何故これまでの開発が貧富格差を増大させてきたかを、環境が悪化してきたかを、貧困の女性化が進んできたかを明確にすることを、この概念図は期待させる。社会構造上の階層、ジェンダー、地域、国家などの諸レベルでの決定者と当事者の分業ないしは支配へのメカニズムである。

 

< 利益追求という欲望の歯止め >

 この概念図の負荷限界とは負荷の発生する当事者あるいはそのインパクトを直接的に受ける人々や場所に設定されてある。高速で移動する新幹線に乗っている受益者である人々には、あるいは乗客を得ることで収益を挙げている鉄道会社の机に座っていても、その騒音振動は感じられない。負荷限界は新幹線が通る度に激しい振動に曝される人々によって定義されざるを得ないからである。もし、その当事者に開発計画の決定に関与する権利が一切無いとしたらどのようなことが起きるかは想像に難くない。環境アセスメントや情報公開が不可欠であることが理解できる。情報公開法が来年4月からやっと施行される我が国で、公共事業がこれまで強行されてきた理由はまさにこのあたりにあるだろう。

 この負荷限界を重視するなら、負荷発生レベルを下げる技術選択をするか、負荷限界を超えないように利益の総量を減らすか、時間軸上の利益の発生量を低く抑えることになるだろう。それは投資に対する利益発生の効率を下げることになる。そのことをもって、負荷限界を超えない節度として高く評価するか、それとも負荷限界など無視すべき無駄として無視または排除し、低く評価するかが、ある意味で、その社会の文化のありようを示すものとなるだろう。

 負荷限界が公的には存在しないとしたら(制度的に負荷限界当事者に意思決定への参与権利が無いとしたら)、利益限界は存在しないことになる。それは、「もっと利益を!」という利益拡大へと無制限に走り出す構図である。これが開発援助の場面であるとするなら、地域社会の負荷限界を越えた開発利益を性急に実現しようとするなら、周辺地域への波及性を持たない銀座のショーウィンドウのようなプロジェクトとなるだろう。負荷限界は見えなくなり、「もっと援助を、もっと生産を、もっと利益を!」という掛け声だけが響き渡る可能性が高まる。作られた援助依存症の発生である。

 負荷限界を喪失した開発が、利益限界を持たない暴走となる危険性を持つと捉えるなら、負荷限界の主体となる地域社会の新たな誕生無しに、「持続可能な開発」がありえないことが理解される。そして、開発利益の平等な分配があろうと負荷そのものの増大を抑えることを保証するものではない。したがって、そこに負荷限界の増大を阻むメカニズムが無い限り、利益の大量生産という近代の手法が破綻に向かう可能性があること、その意味において資本主義と社会主義は共に近代の双生児であることを我々は知ることになる。

 

 負荷限界の当事者を排除した開発の典型は、かつての植民地にあった。あるいは日本の水俣病においては、患者の存在すらも否定されつづけた。そのことで開発のスピードは上がり、やがて海は死の海になった。ゴミは自らをゴミとは定義しない。周辺へと捨てる人々がそれをゴミと定義するばかりである。周辺も自らを周辺とは定義しない。世界の中心と宣言する近代は、自らをどう定義するのであろうか、いかなる未来を描くのであろうか。